■Part2 大阪のシンボル/大阪城




 大阪のシンボル「大阪城」を訪ねました。
そこは豊臣秀吉が築いた豪華絢爛・壮大な空間のはず。
今は、Artficialな巨大Attractionでした〜

◇豊臣時代の大坂城





【見上げた大坂城】

大阪駅から環状線は「大阪公園駅」を降りてから思ったより遠い。。
お城は見えているけれど外堀を渡ってまた、内堀を渡ってやっとたどり着いた〜
見上げたお城は地上・55メートル。
見上げ続けていると首が痛くなってきた。


【夕暮れ時の大坂城】

 関西国際空港へ向かうジェット旅客機が大坂城の向こう側を飛んでいく。肉眼では大きく見えたがシャッターを押したら思ったより小さかった。

◇大坂城発端


明応5年(1946)の秋、浄土真宗の蓮如上人が今の大阪城付近に坊舎を建立。この坊舎はやがて大坂本願寺(石山本願寺)と呼ばれる大寺院に成長し、折からの戦国の世にあって大いに権勢を奮ったが、やがて台頭してきた織田信長のために天正8年(1580)陥落してしまった。
ところが、まもなく信長は本能寺の変で自刃してしまいその後を継いだ豊臣秀吉が新たに大坂を手に入れ、本能寺跡に入るが天正11年(1583)、天下統一を狙う秀吉は新たに大規模な築城工事に着手、やがて三国無双と評される豪壮な城郭を完成させた。しかし、この城も秀吉の死後17年を経た慶長20年=元和元年(1615年)、大坂夏の陣の兵火にかかって全焼してしまった。 



◇徳川幕府の再築


 夏の陣後、大坂は一時松平忠明の領するところとなったが、将軍秀忠は間もなく直轄地とし、元和6年(1620)から大坂城の大規模な修築工事を開始させた。
この工事は10年の歳月を経て寛永6年(1629)に完成したが、わずか36年後、落雷のため天守が消失し、以後江戸時代を通じて天守は再建されなかった。幕末に至り、町人の御用金で大手多聞櫓の再建をはじめ大修復が行われたが、明治維新の動乱で多くの建造物が消失した。


◇昭和の天守閣復興


 昭和6年(1931)、大阪市民の熱意により鉄骨鉄筋コンクリート造り地上55mの天守閣を再建した。しかし、太平洋戦争では城内及び周辺に多くの軍事関係施設があったために激しい空襲にさらされた。ほとんどの建造物が破損したなか、幸いにもこの天守閣は焼け残った。こうして戦後を迎えた大坂城は昭和23年(1948)から史跡公園として再出発することとなり、翌年に天守閣の再開、その後の古建造物の修復、博物館の開設、近年は大坂城ホール、野外音楽堂などユニークな施設が建てられ、今や国際的な一大史跡公園となった。


◇天守閣からの眺望



【生駒山系】

生駒山系を望む。快晴で山系もはっきりと確認できた。画像では分かりにくいのですが。
【大坂城ホール方面】

「大阪城公園駅」を降りてから、右手に「大阪城ホール」を見ながら大阪城へ来た。
当日は「チャゲ&飛鳥」のコンサートが開催されておりました。


◇天守閣内




【大阪夏の陣・ジオラマ】

大阪城内がこれほど最新のシステムで訪れる観光客を楽しませてくれるとは。。
ビデオ画像あり・ジオラマあり・エレベーターあり・の至れり尽くせり。。
昔、訪れた木造建築の天守閣が懐かしいですね。
【大阪城・ジオラマ】

大阪城のジオラマをじっくりと眺めてしまった。旗本の住居が二の丸・三の丸を取り囲むように配置されている。
【青屋門から望む大阪城】

大阪城の東北に位置する「青屋門」から望む。大阪城には他に「3つの門」がある。「大手門」、「京橋門跡」、「玉造門跡」である。次回はこれら3つの門も見学したい。
【大阪城全景】

地上8階の天守閣。冷暖房完備・鉄骨鉄筋コンクリート・エレベーター完備・各種映像設備完備のまさしく「お城アトラクション・大阪城」でした〜


◇平成の大改修


 平成9年(1997)、大阪の貴重な歴史・文化遺産として、また代表的な観光名所として60有余年にわたり親しまれてきた大坂城の大規模な改修が完成した。
外壁の塗り替えと装飾部品の修復、金箔の押しなおしにより、白壁と金箔の輝きで彩られた美しい姿が蘇った。
天守閣は震度7の地震にも耐えられるように設計され、エレベーターの延長などにより、車椅子でも展望台へ出られるよう改善された。
天守閣内には、シアタールーム、ジオラマなどの興味深い設備が増え、歴史博物館としても充実した。こうして生まれ変わった天守閣は、外と内からライトアップされ、大阪のシンボルとして、大阪のシンボルとして輝きを新たにした。



◇文化財一覧


 国指定:大手門、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、金蔵、桜門、など



■画像:テツ提供
■説明文:「大坂城パンフ」より引用。