■Part1 喜多院/埼玉県・川越




 小江戸と呼ばれる町は全国に20箇所以上、あるそうです。
そのうちのひとつ、「川越」は「喜多院」を訪ねました。
そこは徳川家ゆかりの情緒溢れる空間でした。

創建と変遷




 喜多院は仙芳仙人の故事によると奈良時代まで遡るかもしれないと言われている。
伝えによると仙波(せんば)辺の漫々たる海水を仙人の法力により除き、そこに尊像を安置したというが平安時代、淳和(じゅんな)天皇の詔により天長七年(830)慈覚大師円仁(じかくだいしえんじん)により創建された勅願所であって本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天等を祀り無量寿寺(むりょうじゅじ)と名づけた。
その後、元久二年(1205)兵火で炎上の後、永仁四年(1296)伏見天皇が尊海僧正(そんかいそうじょう)に再興せしめたられたとき、慈恵大師(じえいだいし・元三大師)をお祀りし官田五十石を寄せられ関東天台の中心となった。
正安三年(1301)後伏見天皇が東国五百八十ヶ寺の本山たる勅書を下し、後奈良天皇は「星野山−現在の山号」の勅額を下した。
更に天文六年(1537)北条氏綱、上杉朝定の兵火で炎上した。
慶長四年(1599)天海僧正(慈眼大師)は第七世の法統を継ぐが、慶長十六年(1611)十一月、家康公が川越を訪れた時、親しく接見している。そして天海の意見により寺領四万八千坪および五百石を下し、坂井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改め、また四代家綱のとき東照宮に二百石を下すなど寺勢をふるった。寛永十五年(1638)一月の川越大火で現存の山門(寛永九年建立)を
除き、堂宇は全て焼失した。
そこで三代将軍家光公は堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築して、客殿、書院等に当てた。家光誕生の間、春日局間があるのはそのためである。
その他、慈恵堂、多い多宝塔(たほうとう)、慈眼堂(じげんどう)、鐘楼門(しょうろうもん)、東照宮、日枝神社などの現存の建物を数年の間に大切に保存されているのである。
尚、明治維新の神仏分離令からは東照宮、日枝神社は別管理となっている。

【多宝塔】

【客殿】

【家光誕生の間(移築)】

家光公が誕生したとされる間であり、江戸城・紅葉山より移築された。
他に春日の局(お福)の化粧の間もある。

【松平大和守廊所】

松平大和守家は、徳川家康の次男・結城秀康の五男・直基を藩祖とする御家門・越前家の家柄である。川越城主としての在城は1667年(明和四年)から1866年(慶応二年)まで七代百年にわたり、十七万石を領したが、このうち、川越で亡くなった五人の殿様の廊所である。
北側に四基あるのは、右から、「松平朝矩(とものり)、直恒、直信、斉典(なりつね)、南側の一基は「直候(なおよし)」。
いずれも巨大な五輪塔でそれぞれの頌徳碑(しょうとくひ)が建ち、定紋入りの石門と石垣がめぐらされている。


江戸の母川越


 江戸城を築いた太田道真(おおたどうしん)は子道灌とともに、川越城を築城、麹町の日枝神社は喜多院境内にあった日枝神社を分祀し、同平河天神は郭町の三芳野天神−ここはどこの細道じゃ、天神さまの細道じゃのうたの出所−がみとであり、産業にあっては食糧。木材などを多量に川越城管下から新河岸川(しんがしがわ)の舟運と川越街道を利用して江戸に運びその台所をまかなった。
更にまた世界にほこる大東京のもとを成した江戸幕府の中枢たる江戸城、その城内にあった書院式建造物はいまや皇居内にはなく、その一部が川越の喜多院に現存していること等まさに川越は江戸の母といえるのである。


厄除元三大師とお護摩


 喜多院の元三大師(がんざんだいし:慈恵大師良源)は八百年前に尊海が勧請した。
大師は千年前に比叡山に出られ第十八代天台座主になられた。
大師は密教の行法を修め神秘奇蹟を多く感じ、その厄難消除の信仰は鎌倉時代に盛んとなり、その法灯は絶えることがない。
今日、「厄除けの大師」として近隣の深い信仰を集め、縁日の一月三日の初大師には数十万の参拝者で賑わい、不動護摩供を修して人々の家内安全、所願成就を祈願している。そして、境内には七転八倒の縁起物・だるま市が軒を連ねて立ち並ぶ。


五百羅漢(ごひゃくらかん)


 最近は写真によって色々な印刷物に紹介されるため有名になっている。
この羅漢は川越北田島の志誠(しじょう)の発願(ほつがん)により天明二年(1782)より文政八年(1825)の役五十年間にわたり、建立されたもので十大弟子、十六羅漢を含め五百三十五尊者のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩をあわせ全部で五百三十八体が鎮座している。

【五百羅漢】


【五百羅漢全景

【泣き羅漢】

【祈り羅漢】


【祈り羅漢】


【祈り羅漢】


【恵比寿羅漢】


【ささやき羅漢】


【くつろぐ羅漢】


【照れ羅漢】


【照れ羅漢】



七不思議の伝説


 面白い伝説の中で「山内禁鈴」といって境内で鈴を鳴らすと大蛇のたたりがあると伝えられている。その他の七不思議にも龍、狐、美女等にまつわる話があるという。


職人尽絵


 狩野昌庵吉信(かのうしょうあんよしのぶ:1552〜1640)晩年の筆(紙本着色)で仏師など全部で二十四枚、二十五種あり当時の職人の風俗を知る事が出来、日本美術史上特筆すべき作品となっている。


境内の四季


 慶長から寛永にわたって境内が整い特に江戸城紅葉山を模した奥庭は素晴らしい。
近年、西の間奥殿の一部に小堀遠州流枯山水書院式曲水の庭園が造られ東好みの爽快さ、品位さが評判である。うめ、さくら、もみじ、つつじ、さつき等の木々が四季を通じて境内を彩っている。


昭和の大復興


 明治以後御朱印地でなくなったことと、その後の歴代が選出制度で次々変わったため非常に荒廃した。
前貫主亮忠探題大僧正が終戦の混乱時に入山するや文化財の指定と共に昭和二十四年から心血を注いでその復興にかかり書院等六棟の大修理を成し遂げ、又現当主もその偉業を継いで慈悲堂、多宝塔の修理を成し合わせて境内整備を順次継続してそれら偉観は三百五十年前の盛時を偲ばせるものとなった。


文化財一覧


 国指定:客殿、書院、庫裡(以上、江戸城より移築)、
山門、慈眼堂、鐘楼門、職人尽絵、銅鐘、東照宮建造物


■画像:テツ提供
■説明文:「喜多院」より引用。